スポンサーリンク

こんにちは、家族持ち子持ちでミニマリストを目指しているco-daです。片付けたい!部屋をスッキリさせたい!とミニマリストを目指す人は増えていますが、行き過ぎたミニマリストを見ると、疑問がわいてしまうようです。「そんなに物減らして不便じゃない?」よく言われますね~。何でもかんでも捨てている訳じゃないのですが、片っ端から捨てているように見えるそうです。

家のことを手伝った人には不便だらけ。

今私は、切迫流産で入院3週間が過ぎました。早く家に帰りたい……。無性にラーメンが食べたい……。まあそんな状態なので、姑さんに家のことを手伝ってもらって、凄く助かっています。……が、アレがないんだけど、これがないんだけど?とやっぱり聞かれてしまいます。私だって急に物のない家に入れられたら、右往左往しますよ。少しずつ少しずつ、代用できる物を探して身につけていっただけで、急に対応できる環境ではありません。

鍋も最小限、皿も最小限、掃除用具も最小限……。凄く不便を感じているようなのです。床掃除もいつも雑巾で拭いていましたが、「掃除機の方が腰も痛くならないし、早いじゃない。」といわれてしまいました。片付ける時間や物を探す時間などを減らして、時間の余裕をだすために断捨離してたのですが、ちょっと待てよ?時間かかることもするようになっている……?

よく考えてみれば確かに物を減らしすぎて、時間がかかることも増えています!それは不便と思われても仕方がない。それでも多少不便くらいじゃ、物を増やしたくありません。私が不便だと全く感じていないのもありますが、不便になるのになぜ増やしたくないのだろうか?例え無料だろうと、最新技術の結集だろうと増やしたくない!でもなぜなのかは、深く考えたことはありませんでした。

目的が変わってきた。

もともとは掃除するのも面倒で、時間を確保するために物を減らしていました。そして物を減らしていくことが趣味になり、物を厳選することが楽しくなりました。減らすことが目的になっている良くない時期ですね。その経過を経て、物を減らしたとして何で代用するか?と考えながら、悩んでアイデアが絞り出したり、時間をかけても少ない物のなかでの生活を楽しむようになりました。

もしかしたら時代と逆行しているのかもしれませんが、物が少なかった時代はどうしていたんだろう?掃除も雑巾を使って、タンスや床をキレイに拭き上げていたのだろうか?と昔の生活に憧れがあるのです。古風な人だね、は褒め言葉と受け取りますよ。直接手でお手入れをして、物を大切にする。自分の必要とするものだけになったとき、今まで以上にお手入れしたい!という気持ちがわいてきました。趣味のコレクションとか、凄く気に入っている洋服を大切にお手入れするように、物を慈しむとはこういう事だと思います。

不便上等!自分が管理できる空間と物を、時間をかけてお手入れしていきたい。

時間がかかる部分もありますが、かかるとはいっても物が多かった頃より時間が余っていますし、楽になっているのは間違いないです。ただ、お手伝いしてくれている姑さんが不便……と言われれば、全く否定できません。好き好んで不便な生活に身をおいていたとは、自分でも気づかなかった。私の趣味を肩代わりさせてしまうことになって、本当申し訳ないです。

私、性格悪いかもしれない。

姑さんは道具がないけどー?洗剤ないけどー?と毎日困惑しています。「アレが必要だと思うの。不便だから買って良い?」と言われても、「我が家には不要です。掃除は雑巾があればできますので。」とガンとして聞かないのです。普通なら手伝ってもらっている身だから、少しくらい家に物増やされたって良いはずです。それを許さず、不便な生活をさせるのって、相手のこと考えてないし私性格悪いな~と(^_^;)

どれだけ頑固と言われても、性格悪いと言われても、自分の家の事は譲れないのです。

ミニマリストって譲れない性格じゃないと、成立しないかもしれないです。買わないと決めたら買わない!厳選すると決めたら、サッサと断捨離する!ちょっと冷たい感じですね。でもこれが、買わないと決めてたけど可愛いから買っちゃおう!とか、厳選したけどやっぱりもったいない!なんて言ってたら、いつまでたってもミニマリストにはなれないです。

融通聞かない頑固者で合理主義な私には、ミニマリストは合った生き方みたいです。何かが欲しい欲求よりも、スッキリした空間が好き!という自己満足な趣味ですね。お金はかからないのに、家がスッキリする、実用的な趣味に誇りさえ感じています。趣味と実用を兼ねているから、不便を楽しめているんですね。ミニマリストは不便に見えますが、ちょっと不便が正解です。

スポンサーリンク